「絶対に無理」と言う前に|言い切りの言葉とその裏にある本音たち

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日常でよく耳にする「絶対に無理」「必ずこうなる」といった強い言い切りの言葉。その裏には、不安や回避、面倒くささといった本音が隠れていることも。本記事では、言葉の背景にある感情を静かに見つめ、信じること・試すことの価値について考えます。


日本で暮らしていると、日常会話の中でよく耳にする言葉があります。

それは、「絶対に無理」「必ずこうなる」「ありえない」など、強く言い切る表現です。

一見、自信に満ちた発言のように聞こえます。

でも、私は時々、心の中で問いかけてしまいます。

「本当にそうなの?」

「やってみたの?」

「それって、ただの思い込みじゃない?」

■ 強く言い切る、その裏にあるもの

日本語には、曖昧さを美徳とする側面がある一方で、なぜか日常会話ではこうした“強い言い切り”が頻繁に出てくることがあります。

私は、その背景にはいくつかの理由があるのではないかと思っています。

1. 自信がないから、先に“逃げ”を打つ

「絶対にできない」と言うことで、

やってみて失敗することを避けようとしているのかもしれません。

もし挑戦してうまくいかなかったら、自分が否定されたように感じてしまう。

だからこそ、あらかじめ「できない」と言っておけば、リスクを減らせる。

——そんな防御反応としての言い切り。

2. 実際に試すのが、面倒だから

何かを調べたり、試したり、変化を受け入れたりするには、エネルギーが必要です。

でも、それを避けたいとき、人は「無理」「ムダ」「変わらない」と言ってしまいがちです。

それは、現状維持を選ぶための、便利な言葉。

3. 自分の世界だけで完結してしまう安心感

自分の知っている範囲で話すほうが、心地よい。

だからこそ、「これはこうだ」と断言することで、見えないものを見ようとしない傾向もあるのかもしれません。

■ 私自身が感じた違和感

私は韓国で生まれ、日本で長く暮らしています。

だからこそ、こうした“言い切り”に出会うたび、ちょっとした違和感を覚えます。

たとえば、「やってみたら案外できるかもしれないのに」と思うこともあるし、

「そんなに決めつけなくてもいいのに」と感じることもあります。

■ 言葉に余白を持たせるということ

言い切ることは、時に勇気や強さを示すかもしれません。

でも、「かもしれないね」「ちょっと試してみようか」といった言葉には、

やさしさと柔軟さ、そして未来への余地があるように思います。

断定しないことは、弱さではなく、共に考える姿勢かもしれません。

■ おわりに:世界は、もっと曖昧でいい

私たちは、つい「白か黒か」で物事を判断しがちです。

でも、本当はその間にたくさんの“グレー”がある。

「絶対に」と言う前に、少しだけ立ち止まってみる。

——そんな姿勢が、日々のコミュニケーションを、もっと豊かにしてくれるのではないかと感じています。

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